散歩したあと、喫茶店でアイスコーヒーを飲み、帰宅しました。
喫茶店にいる時に、ふと以前メモしていた詩人の私的名言をピックアップしていたのを
見つけて読み返していました。そして無性にその本の続きを読みたくなったので
帰宅して読んでいました。
私が持ってる本そのものではないんですが、こちらにも同じ内容(というか完全版?)
があったので、載せておきますね。興味があったら買って読んで下さい。
もしくは図書館で借りてね。
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萩原先生の言葉を読むと、楽しいです。
「本」に対して、頷いたり感嘆した声が出ます。笑ったり吹き出したり…。
先生は本の中に詩を通して日本の文化の展望を臨んでいると思いました。
その「読み」はおおよそ現代にまでも当てはまっていて、本の中で危惧されている点
について私は先生をこのように感じました。
それは、鬱蒼とした森の中で先へ進みやすいように枝葉を取り除き、後に続く詩人で
在りたい者が塞ぎ込まないよう明朗に励ましてくれるような姿勢の人だと。
私の生きる時代に、大戦を生き抜いて詩を発見する先輩がいます。
※年の差がけっこうあるので「先輩」と表記して良いのか迷いましたが、21世紀も現役
で活躍している枠として区切りました。不躾な表現であることは自覚しています。※
私は大戦を経験したことはありません。しかし、いくつかの戦争の様子をテレビ
(視覚も届くラジオのようなもの)ごしに伺いました。最近は近隣諸国からの挑発を
幾度となく受けています。幸いにも命を尊ばれる価値観が根付きつつあるので
この国に限っては決定的な事件まで至っていないと判断しています。
ところで、先輩の作品に触れると楽しいんです。やっぱり。
およそ経験し得ない事柄であっても、当人の如く触れてしまった感覚に陥る部分に
警戒するほど。だけどそれでも興味が湧いてしまうので読み進めてしまう。
先生の意志を継ごうとする人や受容する人・理解を示す人には共通する感覚が
あるんでしょうか?
詩という芸術の技術的な部分にARTがあって、その精神たるHEARTに「遊び」はない。
そんなふうに書いてたのが、今日読み進めた中で印象的でした。
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とまぁ、今日は自由に書きました。
未来人からのファンレターというスタイルです。
εiз
日常で消化される言葉と作品として消化される言葉。
広い意味ではどちらも同じ言葉だけど、本質は全く違うと思う。