白木蓮の庭

あの日を思い出して。

8月6日 曇り 「自分を磨く218日目」

幼馴染の命日が18年前の昨日で通夜がその夜、告別式が今日。

昨日、友達が花を手向けていたのを見かけて、遅ればせながら私も手向けました。

 

私は臆病な性格だから、一人きりではまだ向き合えなかったと思う。

勝手に寄り添ってもらった気持ちになって、少し安心できました。

未だに辛いことを瞬間的に思い出してしまうことがあります。

花を見ながら当時の事を思うと、まだ涙が溢れそうになります。

 

…それでも、幸せに生きることを諦めずに生き続けたい。

 

 

 

 

 

そして今日は広島に原爆が落とされた日。

広島は北海道の道東のとある高校の修学旅行では、一番遠くに行ける場所でした。

気候の比較的落ち着いていた秋頃に行ったと記憶しています。

 

辺りはもう暗いのに汽車から夜行列車に大急ぎで乗り換え、青函トンネルを抜けても

車窓から見える家の屋根や畑や木の種類の違いが新鮮でずっと見ていられたことを

今でも思い出せます。詳細な旅程は忘れてしまったけど、一度京都で降りて新幹線に

乗り換え広島まで新幹線で向かいました。

料亭で昼食を頂いた後に平和記念公園でお話を聞いたり、黙祷を捧げてから原爆ドーム

のある辺りをみんなで歩きました。その時の気持ちって何という気持ちとして表した

らいいんだろう…。どれくらいたくさんの人がまだ眠っているのだろう?と、まだ苦し

いのかな?と、考えていたのかな。ちょっと曖昧です。

記憶の後付けはよくないとは思いつつも…そう思っていてほしい。

 

被爆者のおじさんが修学旅行生の私たちに話してくれた言葉の中に

「私たちはたくさんの人の死の上に生きている」と仰っていたことが、平和記念公園

公園を囲む穏やかに流れていた川の景色と共に思い出されます。

その言葉を胸に留め、私たちは広島を後に宿泊地の京都へ向かいました。

 

今こうして比較的平和に生きているのは、自分自身の生きる力だけではなく

例えば私が生きるために…育ててくれたり守ってくれる人達がいて助けてくれる人達が

いて、国土があって言葉があって文化があるから。

戦争のいたみを直接感じることのできない私たちは

「なぜ今平和で居られているのか」を、

もっと考える必要があると思いました。

 

今日を通して感じた2つの出来事でした。

 

 

 

そいだらね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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