白木蓮の庭

あの日を思い出して。

6月13日 曇り時々雨 言葉 「自分を磨く524日目」

言葉って、本当に力があるなぁと思えた日でした。

 

発する人の人となりや声帯を震わせる音が影響するのももちろん、言葉そのものにも

温度や感情が宿っているなと痛感しているのです。

 

例えばこちらが正直に発した感想に、相手がすごく感謝してくれるとか。

もちろん感謝が欲しくて言ったわけではなかったので、思った以上に喜んでもらって

嬉しいけどほんの少し照れくさくなってしまいました^^

その女性は、それまでに結構落ち込むことがあったそうです。

だけど私が発した言葉によって「励まされた」と笑顔になってくれました。

 

笑顔は誰でも素敵です。

見ているとそう思います。

 

…ということは、私の笑顔はどうなんだろう?

「すてきだよ」と、言ってくれる人がいてくれるとは思うけど…まぁ、今になって

みれば『悪くもないのかな』など思えるようになりはしたんですが。

私は自分の笑顔というものが好きではありませんでした。

笑うとからかわれると言うかそんな感じで…思春期に笑わなくなったと思います。

そして表情を変えずに居ると「怒ってるの?眠いの?」と聞かれる始末で^^;

……笑顔に自信がない。のではなく、自分の笑顔が嫌い。だったの。

とても醜い自分を晒している気がして。

家族が「笑うと可愛いのに」と言ってくれてたけど、それほど笑わなくなってた。

 

それがね、ある時「笑顔が可愛いね」と言ってくれた人がいて。

内心「何を言ってるんだこの人」と動揺したのだけど、その人も笑顔が可愛かったので

怒る気にはなれませんでした。でも気持ちの隙を見せたくなかったから、すかさず

服の柄や帽子の自慢をしなくてもいいのにしていました。

今思えば~…恋に落ちたんだろうなぁと思います。

 

ちょっと脱線しましたが^^

たった一言、されど一言。…人から発せられた言葉と温度だけじゃなくて

例えば「笑顔」「が」「可愛いね」という組み合わせの持つ力が、当時の私の心を

大きく動かして、あたためるのに絶大だったことにもあるように

こう、文字化するといえばいいかな?

いったん抑揚も感情も感嘆符や疑問符なしでは、伝わらなさそうだけど

なぜか伝わる「もの」がそこに現れるというか…。

 

うまくまとまらなかったけど「言葉を出す」ということって力が必要で「言葉を使う」

種族の私達はそれを『武器』にも『盾』にも『平和』にも使うことができるから、

実はすごい存在なんじゃないかな?と思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

εiз

なんかじゃんけんみたいだねw